日本側の統計が日本経済のチャイナシフトをはっきり示しているにもかかわらず、中国側の統計は中国経済の日本離れを示唆している。この非対称性は、主に中国経済の躍進と日本経済の不振を反映している。中国の生産基地と最終製品の市場としての規模拡大をビジネスチャンスと捉えるべく、世界各国が対中貿易を増やしている。日本から見ると、対中貿易は他の地域に比べて高い伸びを示しているものの、中国の貿易全体の拡大ペースには及ばないため、中国から見た日本の地位が相対的に低下してしまったのである。実際、日本経済がバブル崩壊を経て長期不況に入ったことを背景に、中国に限らず、ほとんどの国にとって貿易相手国としての日本の重要性が低下してきた。

戦後、ニュルンベルクは「軍事裁判の街」になった。ニュルンベルク国際軍事裁判は全世界やドイツ人にもナチスの極悪非道で許し難い悪の姿をはっきりと見せつけた。しかし今から見ると、それは反省の第1段階に過ぎなかった。なぜそれほど多くの普通の庶民が意図的にナチスの追随者になったのか、進んで残忍悲道な大虐殺に手を染めたのか。「洗脳と恐怖」というこのテーマ自身が一つの警告である。ナチスには恐怖の一面があるだけではなく、ある種の十分に人々の心を引き付ける力があった。恐怖の力はまさにこうした洗脳力でもたらせるのだ。ドイツ人の反省は戦犯裁判をこうして乗り越え、人間性と民族文化の深い所へと向かった。それは当時ナチスへの追随に熱狂した多くの普通のドイツ人に心からの悔悟の気持ちを生んだ。まさにこうした反省があって、ドイツはナチス戦犯の追跡と裁判を今なお一貫して続けている。 翻って日本を見ると、戦後の反省はこのような深い局面までにははるかに及んでいない。日本のファシズム軍国主義はドイツのナチズムと比べて勝るとも劣らないと言える。あのように普通の日本人の心を引き付けた洗脳力もドイツのナチズムと比べて大差はない。

知っておきたい時事用語:人民元切り上げ人民元とは、中華人民共和国の通貨の名称。通貨の 切り上げとは、通貨の価値を上げることを指し、具体的には他の通貨(米国ドルなど)との交換レートを変動させることにより実現されます。通貨を切り上げると、当該通貨の価値が高まります。そのため、外国のモノ・サービスを購入する場合(輸入)には有利になります。しかし、外国へ モノ・サービスを販売する場合(輸出)には、販売先での価格が上昇してしまうため、販売先市場での価格競争力を失います。

要は日本人はドイツ人に較べ負け戦の処理が下手だったということ。大ざっぱに言うと、ドイツは悪いことをやったことはすべて認めた上で、それはすべてナチスのせいだと、いわば責任をナチスにすべて押しつけるかたちで一般国民は精神的な「免罪符」を手にした。一方、日本人は「一億総懺悔」をやってしまったことで、責任を自分に背負い込んでしまった。人間は誰でも自分がかわいいので、結局のところそんな悪いことをやったのではないといまだに主張すると言うもの。靖国問題がそれを象徴している。

スペンサーはデュルケム以前に,こうした近代的分業によって促進される連帯を危惧していた。すなわち,彼は,近代的分業とはある社会において全面的な能力を有しうる人間が,ある特定の能力を除いた他の全ての能力を犠牲にすることによって成立するシステムであると気づいていた。それゆえ,スペンサーは,ある特定の場所である特定の人間が役割を果たしている社会を,生物に範をとり「有機的」とは見做さなかった。これこそ,スペンサーの社会有機体説の核心部分である。このことは4節で詳述する。