フジ・ライブドア和解


結局、ニッポン型経営の何たらとか、放送メディアの抱える何たらとか、そういう一般化が上滑りしてしまったという感じ。後味の悪さが残る。

最後まで「想定の範囲内」という言葉を背負わされちゃったみたいだけれど、まあリップサービスみたいなもので案外うそでもないんじゃないかなという気がする。
ライブドア側としては取るところを取って相応の着地点に落ち着いた訳だし。
金銭じゃない部分でもう少しウマ味を取れたかもという意味で後悔はあるかもしれないけれど。

一方のフジの方は金銭的にもイメージ的にもかなり痛んだと思う。既存メディアと旧世代の「負の代表」と印象づけられたデメリットは大きい。
それでも不利な戦いを結構イーブンに近い、というかロスの少ない方へ押し戻したことはそれなりに救いとなるだろう。


むしろ振り上げたこぶしのやり場に困っているのは、騒動に乗じて荒唐無稽な絵を描いちゃってたのはメディア側の方で、各社社説のいら立ちにそのへんの心情がよく出ている。

堀江氏は「新たな価値観を植えつけないと(メディアは)変わらない」(三月二十六日付本紙インタビュー)などと発言、既存メディアへの挑戦者のイメージを振りまいた。
 それが、ニッポン放送株を全部売却して、事業提携は交渉の枠組みづくりだけ、という内容で和解するのだから、堀江氏にエールを送った人々はこの事実をどう受け止めるのか。

ここにきての和解劇を見ると、ニッポン放送をもてあそんだだけに終わった感は否めない。だからこそ、堀江氏に対して「初めから売り抜ける狙いだった」との批判もくすぶる。
 堀江氏が否定したいのなら、フジとの業務提携を形ばかりのものにするわけにはいかない。着実に収益を上げて社会に評価される事業を育てる。「マネーゲーム」などというレッテルを張られないためには、それしかないだろう。


堀江氏側にメディア改革の決意みたいなものがあれば、もちろんそう。
ただ、そのあたりについて懐疑的じゃなかった訳じゃないし、けっして期待してた訳でもないでしょという気がする。
メディアは上げて下げて、そのマージンみたいなところでうまみを持っていくというようなことを鳥越俊太郎氏が書いていた。
今回のケースはでかいストーリーになりそうなシナリオがハッピーエンドでもバッドエンドでもない妥当で中途半端な着地点に落ち着いたことでメディアに取って最もうまみのない幕切れとなった。


話はそれるが、騒動が続いたこの70日間に、ブログを中心にいろいろとジャーナリズムに関わる発言が出てきた。買収騒ぎがその議論のたたき台となったし、両者の動きと並行して記者ブログ論やネットジャーナリズム論も広がりを見せた。
ジャーナリズムとして、報道の一端として、ブログに何ができて、何ができないのかを計るモデルケースとして格好のネタになったと思う。そういう点を、ブログジャーナリズム論者に、自らの言質も含め、きちんと総括してほしいと思う。