ジャーナリズムの作法

報道をやることと、報道を考えることは違う。
実践と理論の話。
ブログという"接点"で、最近わりとその矛盾が噴き出したり、摺り合わせが進んできているけれど、まだ自分のものではない、というのが実感だ。
理想があるからといってどうにかなる世界でもない。
「参加型ジャーナリズム」という言葉に複雑な思いを感じるのは、「参加型」という部分に過剰に意味付けすることで報道の課題が克服できるかのような雰囲気を醸し出している点だ。