「日本兵」をめぐる顛末

日本兵、元日本兵の話題が、まるで何事もなかったかのようにひっそりと姿を消しつつある。
これが誤報とか、あるいは政府や外務省の誤認に基づくものなら、こうもあっさり幕引きに繋がるはずもないが、そろってすねに傷を蓄えたうえ、肝心の旧日本兵自体の存在を否定するものではない、ということが大きく左右していると思われる。

いくつかのメディアでは検証特集が掲載されたが、総じて現地での情報確認の難しさと、政府の判断の甘さを伝えるにとどまった。

ただ、今回の事例について政府の対応をあげつらうには、少々酷なものがある。

現地に日本兵がいるという断片的な情報はこれまでもあったこと。
複数のルート(実際にはそうではなかったが)から確度の高い情報があったこと。
政府として、確度に関わらず「帰国したい」という意思を示す邦人がいる以上、無碍に対応できないし、すべきではないこと。

つまりはダメ元でもいいから動く、という判断をする素地は十分にあったということで、これで外務省を責めるのはどうかと思われる。
要は単純に、何ら独自の検証もないままに政府判断をうのみにして、あたかも近く日本兵が帰国すると期待したメディアが、その責を政府におっかぶせた、ということに尽きるのではないか。
帰ってくれば「祭り」になるという状況に色気をだした部分が見透かされるような形になったこともあって、「あーもうそれには触れるな」という状況にメディア自身がなってしまった、当然政府もほじくりかえす気はない、というような事情にすぎない。

さらに深刻に思われるのは、イラクの人質のケースのように騒がれないことだ。
この点、メディアのみならず、ネットについても、少なからず失望した。
そこに目に見える形での人命のやり取りが見えないだけで、議論が深まらない。
イラクの場合事後対応の部類に属するが、今回は、まさにいまどう動くべきかの話である。
外務省が今回のような、あやふやな情報を「信用できない」として動かなければ、救われるべき邦人が救われない可能性が発生する。そのリスクを、メディアのメンツのために潰して構わないのか。
メディアとして本質的に問題を抱えているのは、むしろ今回のケースの方であるとも言える。

手続きとして数日中に判明するかのような展開になったことは反省すべきだが、それをもって政府機関の情報収集の手足をしばる、救出の可能性のある人への手助けを縛ることは本末転倒だ。
なぜ今回、政府もメディアも色めき立ったのか、そこに光明がある以上できることはするが、外した場合は外したで、言い逃れや糊塗をせず潔くするということが、あってもいいはずだ。
報道としての無謬性より大切にすべきことを、見つめていく必要がある。