雑記

一票に込めた意思やトータルとしての結果を何らかの単一的あるいは不十分な条件で過剰な意味付けを施すか。情緒的な味付けを排してシステム特性をベースに分析するか。

アナウンス効果はあったのか。メディア耐性は?

26日付『天声人語』より

 自民、公明両党の候補者の得票数を合計すると、ざっと3350万票だった。一方の民主、共産、社民、複数の新党や無所属を全部合わせると3450万票を超えている。なんと、100万票も与党より多いではないか。

議論の立て方について。

比較多数の利益が最大化する形で得票にバイアスが掛かる小選挙区制の特性は、今回の結果を語るためにまず押さえておく必要がある。得票率の差に大きくバイアスが加わってあの議席数となった。
結果に対する「過剰さ」の記憶が読者に新しいところに、このコラムはそれらしく見える。
しかし選挙はイエス・ノーの投票ではない。
上位2候補の差、というならともかく、三つどもえになった選挙区が多数であることを踏まえれば、小選挙区制の下で「死に票」が半分を超すことは不自然ではないことが、容易に想像できる。天声人語の論法はもっともらしくはあっても、レトリックとして極めて不誠実なものといえる。というより、たんに検証が足りないか、制度的理解が浅いかという問題なのかもしれない。
 この形で「民意」を反映していないと説くのであれば、まず制度の不備という点を議論すべきであって、小泉の弁を逆手に「民意が郵政を信任していない」と帰結させるのは恣意的すぎる。