国立追悼施設で一線を画す読売と産経

 保守系2紙が、靖国の扱いについて、すっかりスタンスが違ってしまった。従来と変わらぬ論調の産経に対し、読売は極めて「現実的」なラインでの提言をし始めている。


10月29日付・読売社説(2) : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20051028ig91.htm

 「戦争犯罪人」と明言したのは、歴代首相で、小泉首相が初めてだ。「戦争犯罪人」と認識した上で、A級戦犯が合祀されている靖国神社に参拝するのは、どう見ても、おかしい。

 A級戦犯分祀が出来ないなら、無宗教の国立追悼施設を建立するしかない。2002年末、当時の福田官房長官の私的懇談会は、戦没者の追悼のあり方について、追悼・平和祈念のために、国立の無宗教の追悼施設の建立を提言した。

Sankei Web 産経朝刊 主張(10/29 05:00)
http://www.sankei.co.jp/news/editoria.htm

 韓国の潘基文外交通商相は町村信孝外相との会談で、小泉純一郎首相の靖国参拝を重ねて批判したうえ、靖国神社とは別の追悼施設建設の関連予算を計上することまで要求した。

 予算は、国の主権にかかわる最も大事な内政事項の一つである。それまでくちばしをはさもうとする韓国の態度は、もはや内政干渉の域を越え、国政への不当介入といえる。逆に、日本が韓国の国家予算に容喙(ようかい)したら、どうなるか。少しは、外交の常識をわきまえてもらいたいものだ。


 産経が靖国にまつわる部分で韓国の発言に情緒的に反応しているのに対し、読売は小泉の姿勢と現実的な対応を、ずいぶん冷静に分析している。なにがこの温度差につながっているのか。


 奇しくも28日には、自民党が新憲法草案を発表、「愛国心」的な前文がすっかり鳴りを潜め、極めて穏やかな表現となった。民族的ロマンチシズムが影を潜めた背景には、衆議院で3分の2というハードルをひとつクリアしたことで、次のステップとしての、より現実的に改憲に取り込むべき勢力が見えてきたことがある。譲るところは譲って、改憲を形あるものにするための現実路線にシフトしていることを示しているといえる。


 護憲、反戦と唱えていればとりあえずどうにかなった、いわゆる戦後民主主義の幸福な季節が過ぎ、サヨク的言説のメッキが剥がされたのと同じように、右方面についてもエキセントリックな主張はやがて現実と相容れなくなりつつある。大勢を占める立場にある自民が、実は現実的、協調路線にスイングするのと同様に、社会のトータルな右傾化が、保守勢力のツメを丸める結果を生んでいる。