「インスタントラーメンの父」死去

 安藤氏は台湾生まれ。戦後の食糧難時代の1948年、日清食品の前身となる中交総社を設立し、社長に就任。58年に自宅の実験施設で、熱湯をかけるだけで食べられる世界初の即席めんの開発に成功した。「日清のチキンラーメン」は、大ヒット商品となった。

 71年にはやはり自ら発案した初の即席カップめん「カップヌードル」を発売。世界各地に積極的に輸出し、即席めんを国際的な商品に育てた。

 戦後は貿易業などで大金をつかむが、脱税容疑で連合国軍総司令部(GHQ)に逮捕されるなどで無一文の振り出しに。そこから寝食を忘れた即席めん開発の日々が始まった。

 売り出されたのは58年、安藤さんは48歳。遅咲きのスタートとなったが、「チキンラーメンの発想にたどりつくのに必要な歳月だった」。1万円札の発行、長嶋茂雄プロ野球デビュー、東京タワー完成、そして皇太子妃(今の皇后陛下)に正田美智子さんが決まりミッチーブームにわいた年でもあった。

 残業や受験勉強の夜食、出稼ぎ農家と単身赴任者、それに母親が不在がちなカギっ子向けと、即席めんは時代の申し子だった。「ラーメンからミサイルまで」と、世界に雄飛する総合商社のコピーにもなった。簡便性を一段と強めたカップめん「カップヌードル」の登場は列島改造ブーム前夜の71年、その食べ歩きは若者のファッションにさえなった。