読者を尊敬するメディアとは

『切れ』の効用など、短詩型文学の奥深さを平易な言葉で論理的に語る。

文学論としての面白さは勿論のこと、以下のような記述には「読者に伝える」ことの意味をしみじみと考えさせられる。

俳句は読者を尊敬する文芸である。
近代文学は大体において作者中心の考え方の上に立っており、読者は作者の表現しようとしたものを、なるべく忠実に理解しようとする受動的な性格がつよい。それに対して俳句では、読者が作者から対等に扱われるのが特色である。それは作者の示すものをそのまま受けとればよい読者ではなく、作者が、飛躍的・要点的・象徴的・非確定的に表現しているものを、統合して、まとまりのある意味にする積極的な解釈を行なう読者である。読者にとって俳句が俳句特有の鋭い喜びを感じさせるのも、読者の創造的解釈の余地が作者によって予め準備されていることと無関係ではありえない。

読者を、それと知らず作り手サイドから一段低いものと見て、疑問や解釈の揺らぎを容れる余地のないかたちで届けることこそ読者目線とする、「行き届いた編集」の傲慢さを諌める指摘である。

報道の視点と、メディア・リテラシーの視点と、いずれにも共通するのは「行き届かなさ」への不審ばかりが先立つという点だ。食品衛生やリコールの問題でも、ゼロリスクこそ理想というスタンスに無条件で立脚して議論を進めることの、ある種の不毛さが、なかなか顧みられることがない。補完的に議論を深めていくツールの開発への関心を、上手に涵養できるしなやかさが、足りない。