factを紡ぐことが、必ずしも真理を描くことに繋がらない。
たとえば陰謀論や極端なユダヤ脅威論など。

メディアのように網羅的に情報活動を行う現場にとって、短期のスパンでロジックをやり繰りするのは難しいことじゃない。特に事件初期の情報不足あるいは情報過疎の場合。
結果として、断面的整合性を失わない限り、報道のベクトルにかなりの柔軟を生む。


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定量的な分析を

テレ朝のJチャンネルで運行遅れなどに関わる運転士の重圧に触れ、海外の例としてニューヨーク地下鉄を例に挙げ、時刻表がないことを伝えていた。
JRの郊外路線と地下鉄を比較できるのか単純に比較できるのか。

 記事は「世界のどの国でも90秒の遅れは時間通りとみなされるが、日本では数分間隔で運行される電車に頼る通勤客に影響がでることになる」との書き出しで、定刻に固執する日本の“特異性”を指摘した。 運転士がこの90秒の遅延を取り戻すためスピードを上げていた可能性があるとし、列車の遅れは英国では5分、ニューヨークでは6分以上の場合を指すのに、日本では一分の遅れでも車掌がわびると紹介した。

「国民性」みたいな風呂敷の広げ方がどれほど貢献するのか疑問がある。




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