本にかんするクリップ

 法廷の見取り図を、徳川期の名残をとどめる明治3年のお白洲、判事検事が並ぶ明治6年の法廷、現代の刑事法廷、フランスの法廷、アメリカの法廷、と並べて、ここにそれぞれの法思想の違いを読み取ろうとするのも同じだ。

 こうして最後には、大岡裁きに象徴される日本人の法意識と権利・義務の体系としての近代的法観念との相違がはっきりと浮かび上がってくる。西洋近代法の基本原理たる個人主義や自己責任は「今や寂しく冷厳な響きで、われわれに迫ってくる。市場原理に支配され、弱者が否応なく淘汰される社会は、さぞや殺伐としたものになるだろう」。しかし、西洋社会が勝ち取ってきた「自分は自分であって自由である」という世界観と人生観はまた喜びにあふれたもののはずだ。著者は確信を持ってそう述べる。

国家による応報的司法のもと「犯罪者に厳罰を」との声が高まる一方、真の償いと被害者の回復を求める運動が世界各地で広がっている。被害者、加害者、コミュニティ相互の関係修復と再生を目指す新しい司法のあり方を追求する。