不審な同僚を『取材』するということ

 NHK記者の連続放火事件について。
 ※『ニュースの天才』ややネタばれあり。


 米有名政治雑誌のねつ造事件を描いた映画『ニュースの天才』では、新任の編集長がねつ造を認めない本人とともに取材現場を巡り歩く。記事の舞台となったひとつひとつの場面で不自然さが浮かび上がり、ごまかしきれなくなった主人公は、ついにねつ造を認める。

 スター記者である主人公に同僚記者の多くは信頼を置き、元編集長も詳細なウラ取りをすることなく、多くの記事を通していた。魅力的で面白いストーリーであることが、真実よりも受けたという皮肉な状況に、編集スタッフ全体が気づかなかった。


 しかしNHK記者の放火事件は、突然の逮捕ではなかった。半年近く前に事情聴取を受け、その事実はNHKも把握していた。

 石村副総局長によると、連続不審火のあった5月15日、警察から任意で事情聴取を受けた笠松容疑者は、同日深夜、大津放送局の上司からも約20分間、事情を聞かれ、「私はやっていません」と否定した。事情聴取を受けたことは、この日のうちに橋本会長にも報告された。

 しかし、笠松容疑者の言葉が本当かどうかを確かめるために「報道機関として取材したのか」との質問に、石村副総局長は「(事件への関与が)疑われている当事者サイドになっているので捜査の推移を見守った。NHKの通常の事件取材より、取材は少ないかもしれない」。

 さらに、内部調査について、「同僚や先輩に勤務状況や事情は聞いた。体調に変調をきたしている事実は浮かび上がったが、事件そのものについてはわからなかった」と語った。

 そうなのだろうか。

 偶発的な事件ではない。不審火の第一発見者、事情聴取、週刊誌での報道…明らかになっている事実を見る限り、不審感を抱かせるのに十分であるように思える。


 NHKに対しあれだけ逆風が吹いているなかで、身内の不祥事の気配に何も感じないというほど現場は無神経でいられるだろうか。



 『ニュースの天才』では、ライバル誌からのねつ造を示唆する電話に、編集長は自ら明らかにすると答えた。今回NHKは真実から目を背けたまま、警察の捜査に結論を委ねた(と個人的には解釈している)。おそらく対処としては、稚拙というか最もまずいものだろうと思うが、精神的にまいっているスタッフに対してどう処遇するかという面で見れば、その容疑を追及することの難しさも分からない訳でもない。だからといって違法性が阻却されるわけもないから、結果的に行き着くところまで無策でいることを選んだのだとすれば、ずいぶんとナイーブな話だ。


 この顛末は身内の容疑を報道の現場が客体化できないことを端的に示している。報道の大義でもあればNYタイムズの収監問題のようなキャンペーンになるが、単純犯罪に対処する術などない。深刻さを思わせるのは、舞台が不祥事に揺れ続け、ようやく再生プランで出直しをはかろうとした矢先のNHKであるということ。少なくとも、今いちばん緊張感をもっているはずの報道機関で、ほぼ一連の騒動と並行するかたちで曖昧な対応が続いていたという事実は、組織ジャーナリズムのネガティブな側面をさらに際立たせるだろう。