専門性のハードルを下げられるか

 量的緩和の解除については経済関連のブログ界隈などでは既にかなり前からリフレやインフレターゲットなど専門色の強いテーマで語られてきたが、一般人にしてみれば今回の日銀判断で初めて意識する部分も少なくないはずで、今後展開されるテクニカルな情報に果たしてどれほど関心が寄せられるかという部分は、今の段階ではなかなか読みづらい。素人を置き去りにして、マクロ経済の知識を前提とした議論ができないのが報道の難しいところで、しばらくは瀬踏みしながらの表現が続くことになる。

 勿論ある程度の専門性が、むしろ関心を高める効果をもたらす場合もある。ライブドアがフジテレビに買収を仕掛けたケースなどはその典型例で、買収手法や防止法にまつわるさまざまな専門用語があっさりと一般化した。オウム事件当時の特殊な表現も同じで、ある程度非日常的な用語を散りばめることが「分かってる」的な感覚をもたらす部分もあって、あながち敬遠してばかりもいられない。世間の好奇心の度合次第で、専門性は歓迎されたり煙たがられたりする。このあたりは、メディア側の踏み込み具合と理解度が試される場面でもある。

 テクニカルであることが、ただ「分かりづらい」という理由で俎上に載せられないことは、それはそれでまた問題のある判断となる。何とか理解しやすくするための工夫があるべきで、議論を回避するのは論外だ。その意味で一般メディアが及び腰になりがちな専門的議論をブログなどネット情報が補完的に展開している現状は、過渡的なあり方なのかもしれないが、議論に深みを与える意味で歓迎すべきだと思う。